2014年8月29日金曜日

物理・複雑系のものの見方(書評形式)

複雑系とは、一見無秩序ないし予測不能に見えるが、その背後には何らかのメカニズムが働いているシステムのことを指している。特にここで問題とするのは最も基本的な形、即ち多数の構成要素からなるシステムで、要素間の相互作用により複雑性が創発している系である。これには2種類あり、一つは構成要素が学習能力を持たない“粒子”からなる複雑物理系で、金属の磁性や流体の乱流などが代表例である。もう一つは構成要素が環境から学習して適応していく“エージェント”からなる複雑適応系であり、生態系や金融市場などが代表例である。
ここで、先ずは複雑系科学の発祥元であり、前提となっている物理学のものの見方を整理しよう。物理学とは、シンプルで基本的な仮定のみから作られたモデルによって現実の多様な現象を説明する学問である。そのように考える理由は、以下の2つである。
     ある現象が何故起こるのか、その原因を特定できる。
     基本的な仮定のみから得られた結論は、他の仮定を加えても崩れない。
前者について述べると、これは人間の認知能力の限界のことのみを指している訳ではなく、人間の認知能力に非依存な数学によっても裏付けられている。それは、複雑怪奇なモデルであれば、如何に非現実的な仮定からであっても現実の特徴を再現出来てしまうということである。例えば、素粒子ではなく「シリコンに電流が流れて画像を生成する」ことが現実世界を動かす仕組みだと思って理論を組み立てても上手く説明出来てしまう。しかしこれは人間の体がシリコンでも電気信号でもないことから明らかなように、間違っている。しかしこの間違った仮定から現実が上手く再現出来ることは、目の前のコンピュータを見れば自明であろう。では、何故全く別の理屈から出来ているものが同じ挙動を見せるのか、これが後者の答である。例えば現実の水の動きとコンピュータシミュレーションを比べてみると、水とプログラムだからその点では全く違う。しかし、どちらも保存則と対称性を満たしているから、“水の挙動”を何れも示すのである。この場合、保存則と対称性が本質であって、他の条件が加わったところで“水である”ことが崩れたりはしない。このような本質を見つけたいと思うのが、物理学である。
 では、複雑系は従来の物理学とはどのように違うのか。それは本質の所在がどこにあるかと見做すかの違いにある。物理では、本質は構成要素それ自体の中にあると考えていた。だから水のような連続体を分子に、それをさらに原子、素粒子へと分解してきた。ところがそれでは立ち行かなくなったので、複雑系科学が現れたのである。複雑系では、要素間の関係性、相互作用の方に本質があると考える。端的に言えば、H2O分子が集まったものではなく衝突の際に保存則と対称性が満たされるものを水と見做すということである。以上のような物理学と複雑系の見方を一冊に体感出来る本としてPER BAK “how nature works”を推薦する。これは複雑系の基本的な考えを身に付けるのに最適であると言えよう。英語も極めて平易で、数式も少ない。今回紹介する他の本を読む前に、入門として読んで欲しい。
 次に、複雑物理系についての本を紹介しよう。加藤恭義、築山洋、光成友孝『セルオートマトン法-複雑系の自己組織化と超並列処理』を推薦する。これは格子ガスオートマトン(LGA)及びその発展である格子ボルツマンという簡単なプログラムが、現実の複雑な流体の挙動を再現することを説明する本である。LGAには「同じマスに来た粒子は衝突し、保存則と対称性を満たすように曲がる」というルールしかない。局所的なルールのみからマクロな流体の全体挙動が再現されるのは圧巻である。また、魚や貝など生物の模様が2種類の物質の拡散のみによって説明出来るということを、これまた局所的なルールのみからなるセルオートマトンで説明しており、興味深い。全体のデザインを決めている人は誰もいないのに、自発的にデザインが現れることがこの本のキモと言えるだろう。
 複雑適応系に関しては、その具体的な個別の分野として経済物理を以下勧めておこう。経済物理とは、現実世界に溢れているデータを収集・分析し、シミュレーションなどで現象のメカニズムを推定する学問である。最初に読むべきは、高安秀樹、高安美佐子『エコノフィジックス 市場に潜む物理法則』である。これは内容としてはそう多い訳ではないが、一番分かり易く、他の本を読む為の基礎力を身に付けるのに最適である。その後は自分の興味に従って読めば良い。株式市場に関してなら増川純一、水野貴之ほか『株価の経済物理学』がお勧めであるし、企業活動などの実体経済を扱った本としては青山秀明、家富洋ほか『経済物理学』という本がある。他にもSNSの分析をしている本もある。この2冊は何れもなかなか難しいので、繰り返しになるが先に挙げた高安氏の本を読んで力を付けてから挑戦することを勧める。基礎が分かった後であれば、極めて楽しく読める筈だ。
 最後に、私が複雑系の中でも最も面白いと思う領域を紹介しよう。それは経済物理の中でも人工市場研究である。人工市場とは、プログラムの中に仮想的なトレーダー、即ちエージェントを作り、実際に経済活動をさせて社会の性質を調べる分野である。その為、数式では表現しづらい人間の心理、集団行動などがどのように現実に影響しているのかまでも調べることが出来、これが従来の社会科学との大きな差である。人工市場のモデルの1つにマイノリティゲーム(MG)というものがある。その紹介としてD.Challet, M.Marsili, etc., “Minority Games”を挙げておこう。MGは限定合理性、多様で非均一なエージェント、少数派有利というシンプルなルールのみからなるにも関わらず、金融市場以外にも交通やインターネットの経路制御、脳神経の構造などの研究にも使われており、正にシンプルなルールが現実の複雑性を上手く説明する好例と言えよう。

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